11月26日深夜2時過ぎ、大好きな保護猫のぼうちゃんを亡くした。
ぼうちゃんといた11ヶ月は、最初から『近いうちに看取るため』に始まったものだった。
マニラに来て4年8ヶ月、たくさんのネコと出会い、ぼうちゃんはその中の一匹。
みんなが特別だけど、その中でも特に特別な1匹。
どんなことも、時間が経つと色々と忘れてしまう。
だからぼうちゃんとの時間を、記憶が鮮明なうちにブログに残しておきたい。
家族のリーダーぼうちゃん
ぼう(男の子・6歳くらい?)と初めて出会ったのは、2018年の夏頃だった。
ぼうは同じ色をした家族たちが暮らす小さな公園を拠点としながらも、去勢をされていなかったため、基本的には放浪生活。
公園にいないことの方が多かった(家族たちは保護猫団体により去勢・避妊済み)。
ぼうたちが暮らす公園はきれいで比較的安全ではあるものの、雨を避ける場所がない。
雨が降ると植木や植物の下に逃げ込み、雨をやり過ごすしかないという過酷な場所だった。
2018年の雨季に、大雨が5日間も降り続いたことがあった。
何日も続いたどしゃぶりが少し弱まったタイミングで公園へ行くと、ぼう家族が植木の下に身を寄せ合って雨を凌いでいるのをすぐに見つけた。
ウェットフードを差し出すと、ぼうは私を一瞥し、ー番にごはんを食べ始めた。
が、少し食べてすぐにみんなへ譲った。
にゃん数分のパウチを用意していたので、「食べていいよ」って言ったのだけど、「おれはもういいよ」と言わんばかりに家族に譲っていた。
ごはんをたまにあげる家族の一員である『ぼう』のことを初めて強く意識した最初の出来事だった。
去勢・怪我・ごはんが食べられない
その後公園のごはんやりは続けていたけれど、放浪生活を続けるぼうとは会える機会が少ないまま日々は過ぎていった。
そんなぼうが去勢されたのは、2020年7月。
保護猫団体がぼうを網で捕まえることに成功した。
去勢されて病院から公園に戻ったぼうはついに放浪生活を終了し、ごはんをあげにいくと3回に2回は会えるようになった。
その年、2020年の年末。
公園に行きお水を用意すると、一目散にそれを飲むぼうの姿を目にすることが多くなった。
そしてドライフードをあげても躊躇って食べない。食べられない。
そんなぼうが心配で、ぼうのためにウェットフードや鶏肉を持っていくようになった。
しかしそのうちにそのウェットフードさえ食べられなくなり、お水ばかり飲むようになった。
ぼうに「大丈夫?」と聞くとじっと見るだけ。
そんな日を2・3日繰り返し、ぼうに「大丈夫?」と聞いたけど、大丈夫に見えなかった。
「あとでまた来るから、病院に行こう」とぼうに伝えた。
マカティの大きな病院に入院・そして転院
2021年1月6日の夜。ぼうをマカティの大きな病院へ連れて行った。
ところで、マニラでの生活は2020年3月のロックダウンから何度もロックダウンを繰り返し、生活の様々なことに制限がかかるようになっていた。
いつも賑わっていた街に人影は減り、迷彩服を着た兵士が巡回したり夜間外出禁止となったりと、まるで戒厳令が敷かれたような状況で緊張感のある非日常感が続いていた。
この時期は少し時間が延びて8時まで外出可能であったが、夜にGrabタクシーで外出する際には緊張感を伴った。
そしてほとんどの動物病院は予約必須・飼い主立ち入り禁止となり、営業時間が短くなった。
そんな中、入院施設があり夜も診療してくれるこの大病院は他に替えがないこともあり、よくお世話になっていた。
同時に、ここで何匹もの猫を亡くした。
この大病院は、本当に忙しい。入院中に先生から話を聞ける仕組みになっていなかったり、『さっき亡くなりました』との連絡を受けるだけで、どのような処置がされたか、最後の瞬間がどんなものであったかなどをほとんど知ることができなかった。
診察時の先生は信頼できると感じる先生ばかりなのだが、病院はうまく回っていないのは紛うことなき状況であったため、「入院させたくない」という気持ちが強かった。
ぼうの診察を担当してくれたのは、これまでも何度も診てくれている元気でかわいい先生だった。
ぼうの住んでいた公園は、以前に猫白血病の子猫を保護した場所と一緒だったこと、ぼうの「水をたくさん飲む」という行動から、ぼうは猫白血病ではないかと心配していた。
子猫の猫白血病(FeLV) が陰転するまでの日々(前編)いくつかの検査の結果、猫白血病は陰性、猫エイズは陽性、腎不全だと判明。
しかし先生は仰った。
「今日は入院した方がいいけど、正直数日持つか分からない」
その日は保護したばかり。先生の言葉を受け止めるしかできなかった。
夜遅く病院から来たメッセージには「ぼうはまったくごはんを食べられないため強制給餌した」と書いてあった。
次の日にお見舞いで病院を訪れ、深刻な状況の猫たちが収容される部屋に行き、ぼうに会った時に確信した。
「ぼうはこのままだと、今までの他の子と同じように亡くなってしまうだろう。そしてその最後がどのようなものであったかも、何をしてもらえたかも、いつもと同じく知ることができないのだ」
私は、活動を通じて知り合った、保護猫団体を運営するカーマインさんに現状を話した。
「ぼうはご飯を食べられない、きっと歯が痛いんだと思う」とメッセージを送った時に、昨日の病院で先生は歯をチェックしていなかったことを思い出した。
カーマインさんが、
転院することへの申し訳なさと居心地の悪さは感じながらも、ここで動かなければぼうはこのまま終わってしまうかもしれない。
大病院の先生には、『保護猫団体が関連している病院に転院することにした(嘘ではない)』と話し、転院の承諾をもらった。
マラテ近くのその小さな病院は、とにかく先生の人望が厚く、本当に人気のある動物病院。
病院がとても小さいのと、午後2時からは手術の時間として割り当てられているため、受付開始(朝9:30頃)から30分で基本的には受付終了になる。
ぼうは、点滴をつけたまま病院を移動。病院に着くとぼうのキャリーに湯たんぽをいれてくれ、点滴にビタミンCを追加してくれた。
数時間待ちようやく先生(庵野監督似)に診てもらうと、「口腔の状態が悪いから、明日抜歯しよう」と言ってくださった。
本当に人気の病院で手術予定も詰まっているはずなので、先生のgenerousな対応に心からありがとうございますと伝えた。
ぼうはロイヤルカナンのリカバリーフードを舐めることはできた。
入院施設がないので、一旦うちに帰ることになった。
ただ、この頃私たちは近いうちに本帰国になる可能性もあり、それが気がかりだった。
ぼうを保護したことをお世話になっているマニラ最大の保護猫犬団体の方に相談。
帰国時に飛行機には3匹の動物しか乗せられないこと、パンデミックにより行き来も難しいことから、2度行き来して連れて帰ることは難しいかもしれないことを伝えると、二つ返事でぼうを保護してくれると言ってくださった。
(2)に続く。