なぜ海外を経験した日本人は、日本より海外が良いと言いたがるのか

こんにちは。3年前からフィリピンのマニラに住んでいる、はなお(@oiuioi2)です。

日本に帰ると、『海外で暮らすって、いろいろ大変でしょ。すごいよね』と言われる事があります。
しかし海外で暮らしていて思うのは、

いやいや、日本で暮らすのだってすごいし、大変だよな

はなお

という事だったりします。

配偶者の転勤でマニラへ引っ越してきて色々な気持ちを乗り越えてきた中で今思うのは、

外国で暮らすって楽(ラク)だな。日本に帰ってからの現実に自信がないな~

はなお

という、外を歩くことさえガチガチに緊張し、英語に疲れていた以前では考えられなかった気持ちです。

SNSでは、このような意見をよく目にします。

『日本にいる時は病んでいたけど、海外に来て自分らしく生きられるようになって元気になった』

Twittterの人

日本は先進国と言いながら、衰退しているし、人も冷たく社会が厳しい。海外は優しく生きやすい。

Twitterの人

などなど。

私自身、『フィリピンは○○なのに、日本は××できつい。日本って。。』というように思っていた時期もあったので、こういった気持ちも分かります。

でも自分が海外が楽だと感じるのは、多くの海外上げの人が言うように日本がだめで終わっているから』だとは全く思っていません。

海外で暮らす人の中には、長い時間をかけて計画して移住した人、留学した人など立場は様々です。

この記事は、あくまで『会社の命令で引っ越し、他人と深くかかわらず1人行動が好きで、狭い世界の中で暮らしている駐在帯同妻』の自分の気持ちを俯瞰してまとめたものです。

日本で辛いと感じること

数少ない親友と家族とサウナとおいしいごはんがある日本ですが、数日の滞在でいつも辛く感じることがあります。特に強く感じることを書き出してみました。

日本で辛いこと①情報のシャワーに疲れる

最近は、『幼稚園建設反対』とか『公園で子供がうるさい』といったニュースをよく見るので、『日本は静かだ』とイメージしがちです。

しかし実際は日本へ帰ると、あまりに音が多くてびっくりします。

例えば、家電量販店や大手本屋さん・スーパーや電車。

繰り返し流れる広告や、音楽、視覚上の情報が多い事に頭が痛くなってしまい、これらの場所に長居できなくなってしまいました。

今住んでいるマニラでは、夜中にも関わらず工事の爆音があったり、ジプニーの走行音・どこからか聞こえるカラオケなど色々な『生活音・騒音』があります。

しかし日本ではこのような『生活音』とは異なる『様々な情報のノイズ』を視覚や知覚で無意識に受け取り、消費を煽られていたのだなと気づきました。

これはもちろん、日本語がすべて聞き取れるという要因も大きいかと思います。

はなお

日本で辛いこと②無意識に男性を立てる社会

フィリピンでは女性管理職が多いが、日本は少ない』という情報はよく目にしますが、このような可視化された事実以外にも、日本社会は『男性を喜ばせる』ようにできているな、と感じる事がよくあります。

例えば日系航空会社の客室乗務員さんは、おじさんの偉そうな要求に仕事として『お客様』と優しく対応します。

横の座席に自分の小さなバッグをぽんと投げ出したおじさんに、フィリピンのCAさんのように『ちゃんと座席の下に入れて!』と指示するのではなく、そのバッグにシートベルトをかけてあげたりするのです。

その他にも同じように感じる場面に出くわすたびに、『スーパーで男性店員をあごで使ったりする若い女性店員が活躍するフィリピンはいいよな。。』と思います。

日本で辛いこと③すべてがスムーズで、スピード感がある

日本では、『サービスはスムーズに進むことが当たり前』ですよね。

Amazonや楽天で注文すれば、翌日届くのは『当たり前』。
電車が時間通りくるのも、約束が時間通りなのも『当たり前』。

時間の流れがゆるいフィリピン生活から日本に戻ると、ATM出金の列に並んだ時に感じる、『迷惑にならないように、さっとおろして次の人に回さなきゃ』といったスピード感さえ、辛い..疲れる..と思うようになりました。

日本で辛いこと④日本人にとって、日本の生活は、『現実』

日本で暮らすのは、大多数が『日本語を理解し、話す人たち』。
言葉がよく分かり、生活のすべてが『現実』です。

数日の帰国であれば非日常を楽しめるのですが、日本で暮らすとなると『ちゃんと仕事をして稼ぎ、きれいな服を着て、人に迷惑をかけないようにしなければならない』など窮屈な現実を目の当たりにします。

『社会的に自分がどれくらいの位置で、どのくらいの可能性があるかないか』が手に取るように分かる中で、現実の自分として『日本で生き抜く』必要があるのです。

なぜ海外は日本より暮らしやすいと感じるのか

一方、なぜ海外では日本より暮らしやすいと感じるのでしょうか。
個人的な考えをまとめてみました。

海外が楽な理由①:これまでの人生の『しがらみ』が少ない

JETRO(日本貿易振興機構)の最新データによると、フィリピン在留日本人は、『1万6,894人』で、そのうち半分程度がマニラ在住だそうです。

東南アジアでは、バンコクが7万5000人、シンガポールが3万6000人ということで、1万人超えとはいえかなり少ない人数です。

そのため、日本のように『周りがほぼ日本人でその中で競争があったり、無意識に自分を人と比較してしまう』といった状況にありません。

特に私は駐在妻つながり、といった繋がりがほとんどないので、人間関係の悩みもなく、気楽に暮らしています。

はなお

また、私は両親に『私がどれだけ何の取り柄もなく、普通であるか』を説かれて生きてきたので、『離れているほうが良い関係でいられる』のは間違いありません。

このような『これまでのしがらみが少なく感じる』事が、海外生活を楽だと感じる一つの要因だと思います。

海外が楽な理由②服装やおしゃれの優先度が低い

日本に帰るたびに、街の女性たち・洋服屋さんの整然としたキラキラさにびっくりします。

ここでは、日本ほどキラキラの洋服屋さんはありませんし、『日本的おしゃれ』は安全対策上マイナスである環境で暮らす中、

シャツとデニムにしておくか.. → もうこれでいいんじゃない!? →おしゃれに無頓着

になり、『お金も使わなくていいし、いいな~』と思うようになってきました。

『おしゃれ』は楽しいことなのですが、日本のように消費を煽り、半ば義務のように『おしゃれ』をしなくて良い事は楽だと感じるようになりました。

海外が楽な理由③環境や人がゆるいので、自分もゆるくいられる

マニラへ引っ越して来て数年は、生活の中で出くわす色々な『スムーズにいかない』ことにイライラしたり疲れていたのですが、こういったことにはそのうちに慣れていきます。

そんな中で、携帯を見ながら働く人、歌いながら働く人、話に夢中で会計をしない人、約束は守られない事、予定通り進まないという事が当たり前となり、起こる事すべてに『期待しない』ことが自然と身に付きました。

たまに予定通りにできると、『わーすぐ終わった! すごい!! 』と思うようになりました。

はなお

みんなが自分に厳しくない分、他人にも厳しくない事が楽だな~と感じます。

海外が楽な理由④人の声はBGMのように聞こえる

マニラの共通言語は、タガログ語と英語。
話している内容は、日本語のようにダイレクトに耳へ入ってきません。

街の看板や広告も、英語かタガログ語。

そしてテレビ以外で日本のように『たたみかける』広告を見ることもないですし、ロフトや東急ハンズのように、便利で多彩な国産商品が並ぶところは、ほぼありません。

その情報量の少なさが、楽に暮らせている一つの要因だと思います。
そして、『便利な物ってあったらいいけど、なくても暮らせるのだな』と気づきます。

海外が楽な理由⑤地に足のついていない浮遊した感覚・非日常感

正直に言うと、どんなに『○○が優しかった』とか『仲良しのフィリピン人がいる』と言おうとも、所詮現地語を話せない駐在の外国人は、『外国人・気を遣う存在』だと思います。

いくら『気が合えば言葉がなくても..』と言ったところで、ものすごく些細な部分を言語化できないことで、深い部分での話が難しいと思います。

しかしその『外国人・部外者・他の人とはちがう・属していない』という事、地に足がついていない事が楽だとも感じます。

海外生活の現実

ここまでで挙げたことは、『海外旅行をした後で日本に対して感じる事』に近いかもしれません。

しかし、これが地に足を着ける現実の生活となると、色々な問題が出てくることも事実です。

海外生活の現実①安全への不安

『日本は基本的にとても安全な国』です。

いくら『マニラは思ったより危険ではないし、気を付けていれば大丈夫』と言ったところで、『常に気を付ける』という事は無意識に疲れます。

今でこそ、その『重さ』に慣れたのですが、日本に帰ってもふと『リュックは前』としてしまう時、『普段はこうやって気を付けて肩ひじを張っているんだな』と感じることがあります。

こんなバッグの時は、緊張してぎゅっと持っている。

『怖い目にあったことがない』のは事実ですが、それは常に自分が気を付けていること、好奇心にかまけて無茶をしていない事が大きいと思います。

海外生活の現実②『日本人枠』から飛び出すのは難しい

『日本終わってる』と言おうとも、『日本から離れたい』と思おうとも、仕事をするとなると『日本語』を生かしたり、『日系企業』で働く、または『日本の仕事をテレワークで行う』といった働き方が多いのが現実だと思います。

それが悪いとか良いということではなく、『日本人』であることを生かさずに暮らすということは、簡単なことではないでしょう。

私の場合、『配偶者の駐在への帯同』という立場であり、これが現地の企業に日本人枠抜きで就職し(そもそも雇ってもらえませんが)自分で家賃を払うとなると、今のような生活はできない事は明白で、あくまで『日本人枠』で楽に暮らせていると思っています。

海外生活の現実③コロナへの不安

フィリピン・マニラでは、1月に武漢からの観光客を強制送還したり、3月からは感染者数が100人未満の段階で厳格なロックダウンを始めました。


このロックダウンは世界最長の3か月も続けられ、緩和された今も『通常の生活』ではありません。

しかしこのような厳格な対策をしたにも関わらず、現状感染者数は増え続けています。

日本の場合は懸念されたレベルでの拡がりは見られず、インフラ整備も進められ、コロナに罹ったとしても『野戦病院のようなところに収容されるのでは』といった不安はないでしょう。

また治療費については、国民皆保険により自己負担は少ないという安心感があります。

しかしフィリピンの場合、短期間の入院で何百万円の請求がされた、、といった事例を何件も目にしています。

参考 【恐ろしい事実】フィリピンでコロナ入院し死亡|800万ペソ(1600万円)の請求額 - モトボサツ勝手にブログセブ島編vol2モトボサツ勝手にブログセブ島編vol2

万が一感染した場合の治療費への不安、環境への不安、これは日本ではあまり考える必要のない事でしょう。

海外生活の現実④同調圧力はどこにでもある

『日本は同調圧力と監視社会がやばい』という記述は、SNSで本当によく見ます。

分かりやすい例でファッションについて取り上げると、『海外ではスパッツとTシャツでいいのに、日本ではきれいに飾らなきゃいけなくて疲れる』など、『おしゃれ』をマイナスな事として書かれている事が多いと感じます。

一方で、『自由の国』と言われるアメリカについて、このような記事をみかけました。

参考 自称「自由の国」アメリカにも実はある「同調圧力」についてシリコンバレーで日本を想う 参考 アメリカは服装など“容姿を気にせずに生きれる” というツイートとそれに対する反論 - TogetterTogetter

つまり、アメリカでも同調圧力はあるという事です。

私の暮らすマニラでは、日本以上に多くの人が似たような格好をしているように感じます。

もちろん場所によっては『おしゃれ・個性的』な人を多く見る場所もありますが、ファッションという意味では大多数の人が保守的であるように見えます。

おしゃれをする、ってすてきなことだよな。

ブッダ

また、自分が外国人であるうちは『異なる人』としてなんでも認めてもらえますが、現地へ入りこむとなると、窮屈さやしがらみ・同調圧力は、少なからずあるように感じます。

日本でも、様々な生き方をしている人がいます。

『日本に渦巻く同調圧力』を感じているのは自分自身でしかないし、日本でも色々な生き方を『選ぶ』事ができるのではないでしょうか。

日本では、海外と違い、色々な事が見えすぎる・わかりすぎることで『同調圧力』があるように自分の中で感じてしまう、といったこともあるように思います。

私が海外暮らしが楽な理由:『外国人』として浮遊しているから

フィリピン生活では、『垣根を感じさせないフレンドリーさ』など、日本とは違う人との関わり方に助けられているという事実はあります。

一方、日本では『失敗が許されない』『自己責任論』など、人に厳しい面がどんどん強くなっているのも事実な半面、日本に帰ると『ネットニュースで見るほど、日本って冷たくないな。繊細で素敵な国だな』と思うのも事実です。

多くの人が海外を上げて日本を下げるのは、『日本での人生に、しがらみや社会への窮屈さ・重さに生きづらさを感じている・いたから』ではないでしょうか。

私がもし、日本で完璧にリア充として生きていたなら、『日本の方が良い!』としか思わないかも。

はなお

数十年前に比べると国境を越えて暮らすハードルが下がっている今、日本を脱出して海外で自分らしく楽に暮らせるようになった人は少なくないでしょう。

しかし、どこの国にも良いと感じるところ・悪いと感じるところがあることは、言うまでもありません。
私も日本の嫌いなところもあれば、好きなところもあり、何より『母国』であると思っています。

道にプルメリアが落ちている。

いつか私は日本へ帰り、住宅ローンを払うために働き、ちゃんとした服を着るようになるのだと思います。

日本の外で暮らし、以前とは違う視点で物事を見れるようになったことに感謝しつつも、『どこにいても、個人が、自分がどうするかだな』と思いながら、任期が終わるまでは南国での楽(ラク)な日々を、ゆっくり楽しみたいと思っています。

長くなりましたが、この記事を読んでいただき、ありがとうございました。

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3 COMMENTS

マナ

こんばんは、はなおさん♪
「隣の芝生は~」といいますが、日本にいるとなんとなくゆるーい感じの
「東南アジアっていいよねぇ」と思うけど、そちら方面へ遊びに行くと
「やっぱり日本の清潔感のある生活やきっちりしたとこいいよな」と思ったり(笑)
どこも良いところ、悪いところありますね。

ちなみに「服装は気にしない」ってのわかります!
フィリピンってジーンズにTシャツ、足元はビーサン多いですよね?
私もそちらへ行ってる時はもろにその恰好で歩いてます(-_-;)
人の目を気にしないですむのはやっぱり楽です。

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はなお

マナさん、こんにちは◎
本当にそれです、隣の芝生という感じです^^
うんうん、逆に日本的な格好をすると浮いてしまうから、そんな感じになってしまいますね;
「外国」の開放感はあるけれど、日本は日本で心地いい部分がたくさんあるなーと思います..!

返信する
名無し

日本的な「生きにくさ」を抱えている人向けの情報で、敢えて「どっちもどっち」の結論に持っていく風潮がありますが、実際日本型の同調圧力や行き過ぎた社会的マナー/常識が辛いとピンポイントで思っている人にとっては、海外の方が生きやすいのは自明かと思います。「言語が分からない/完璧に社会に溶け込んでいないから海外のルールや同調圧力に気づかない」とかの問題でもない気がします。完璧なバイリンガルのハーフやインター系の人も、この特定の問題に関して日本社会が窮屈であると言ってる人は多いですから。(海外に同調圧力が全くないとは言ってないです。程度の問題です。「そんなに日本が嫌いなら〜」とか言ってくる日本アゲの人がいるので念のため。)

もちろん日本の方がいい面もあります。ただ、そのいい面は悪い面との裏返しである場合が多い気がします(例:サービスが一切の遅延なく完璧に提供される→ハードワーキングで神経質な労働文化)。日本の方がいい面があれば、その分悪い面もあり、海外の方がいい面があれば、その分悪い面もある。でも総合的に見て、自分の幸せにとって何が一番重要かを考慮したときに、「多少〇〇の面では劣っても、周りの目や無駄なマナーに縛られない場所で生きたい」が強いかつ現地社会で生きられる語学力があれば、海外(先進国で日本と社会的気質が多少似ている東アジア以外)ということです。

もちろん自分を強く持っていて、日本でも気にせずにマイルールで生きられる人はいいでしょうが、多くの日本人は周りと違うことをするのが本当に苦手だからこそ、環境を変えることを考えるんでしょうね。

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